「社会に箱庭療法を施すこと」

本来一対一で行われる箱庭療法を、集団で、そして「昔話」を媒介に行うことによって、社会という物語の傷を癒すことはできないだろうか?これがこの作品のアイデアである。

箱庭療法とは心理療法の一種で、砂箱とよばれる箱におもちゃを入れて、風景や物語をつくる療法である。言葉を介さないこの方法が日本人の心性にあっていたためか、日本でもっとも早く普及、発展したといわれている。さて、このような方法を個人ではなく「社会」という仮想の集団に対して行うとはどういうことだろうか。

このアイデアの起点となったのは、この社会への違和感であり、その起点の一つは2011年に起きた原発事故以来の混乱した状況にある。その中で民主主義を考えなおすといった運動や、憲法をめぐる議論などが噴出した数年であった。ここでは、これらの議論に踏み込むつもりはない。私の関心は、こうした状況の中に浮上した、政治的というよりはむしろ文化的(あるいは感情的)な領域に属する、ある「語り」にある。

ここにはおおまかに二通りの物語があるように見える。一つは「現在の起点は与えられたもの」であるとする物語。もう一つは「現在はとにかく自ら選択したもの」であるとする物語。そしてこれらを語る起点として、「戦後」あるいは「近代化」の歴史に立ち返る。自ら近代化することも、民主化することもできなかった(だから現在はこうなのだ)という語り。閉塞感が高まる状況の中で、こうした起点から「変わらない(変えられない)日本」という自画像が幾度も繰り返し語られる様は、まるでこの社会が病んだ語りの中にあるかのようにみえた。調子がよく一次的に回復したように見えても、気がつけば何度も同じ地点に立ち返り、​何度も同じ分裂と葛藤から出発する。そして気が付くと騒ぎは収まり、表面的には変化することがない。

こうした葛藤を遡ると、西洋という異文化受容を起点として、じつにいろいろな場所や時代に同じような葛藤があるように見えた。ある時は文明論として、ある時は伝統と近代という葛藤として、ある時は西洋と東洋の差として、またある時は自我の確立の問題として、そしてある時は母と子や父と子といった象徴性に託されて、こうした葛藤が物語られた。それはまた、異なる文化、思考、価値観を取り込もうとする学びの歴史でもあるように思われる。

しかし、これらを眺めていると、ふと思うことがある。こうした異文化受容によって当然引き起こされる文化的なコンフリクトが、個人の選択の自由という問題にされるばかりで、集団の問題として語られることがないのではないか、と。そのように語る言葉や物語が、この社会にはあまりに乏しいのではないか?と。


ここで、私自身がこの異文化受容における分裂と葛藤を「私たち」の課題として、「私たち」の歴史として語りかける言葉をもっていなかったことに気がついた。それはまた、異質なものから学び、変化してゆく「私たち」という共通の世界へいたる過去からの物語の先に、現在の自分自身がいないことへの気づきでもあった。

「片子」という昔話は「自殺」がモチーフとなる珍しい昔話である。半鬼半人の片子は、鬼の側にも立てず、さりとて人間の側にも立てず、最後には自殺してしまう。異質な者の自殺によって、鬼という異物が排除され、村は同質性を守られる。

この社会にある、ある「語り」とは、片子の死から出発​しているのではないだろうか。あくまで無言のまま、片子を村全体の問題として受け止めなかった村や両親。ただ一人苦悩の末に、結果として村を守るため声なく死んだ片子の血。公に語られることのなかったその葛藤の先に「私たち」はいるのではないだろうか。

この物語を現在の私たちの価値観から新たに語りなおすことで、こうした語りの新たな出発点を作ることができるのではないかと思った。そのためには、私一人の口では足りないように思えた。そこで多くの人の協力を得て、これを様々に語りなおしてみた。この多声によって描かれた物語を、新しい「片子」として今に語りなおしてみようと思う。

箱庭療法

​箱庭療法とは、セラピストが見守る中で、クライエントが砂の入った箱におもちゃなどを入れることによって、風景や物語など何かを自由に表現してゆく心理療法の一種。通常はこれのみを行うことはなく、言語的面接や遊戯療法の中で、適宜用いられる方法とのこと。

箱庭療法で用いられる「砂箱」。これにおもちゃを入れて風景をつくるのだが、この寸法は大体決まっていて、およそ内法52cm×72cm×7cmとされている。これは人が腰の高さに砂箱を置いたときに、全体を見渡せるぐらいのサイズとのことである。特に高さの7cmが重要で、この枠が精神的な囲いとなり、その守りの内側で表現することが重要とされる。

今回、このワークショップは集団で行うため、この箱をひとまわり大きく設計し、内法68,5×87,5×8cmとした。

​また、おもちゃには昔話「片子」の登場人物や物語に直接は描かれていない村人などの人形も制作し、色々な物語がつくれるようにした。

河合隼雄の片子について

 

 ところでこの制作のきっかけは、主要なモチーフである「片子」という昔話に出会ったことから始まる。そしてそれを近代的自我の分裂とでもいうような文脈で発見したのは、心理学者の河合隼雄であった。河合隼雄はユング派の心理学を日本にもたらした功労者であり、昔話や神話への独自の研究を多く残した人物だ。彼が発見した「片子」と、私は出会った。ここでは彼の発見した「片子」について少し説明を加えたいと思う。

 まずは河合隼雄という人物について。ざっとWikipediaでも目を通せば書いてあることなのでかいつまんで書くが、河合隼雄は1928年生まれ。軍国化し非合理的な精神主義に傾く日本に嫌気がさし、合理主義的な西洋の文化に傾倒する。そして一時は数学の教師にまでなるものの、生徒の悩みを聞いたりするうちに臨床の現場へと進んでゆく。西洋でユング派の心理学を学んだのち、帰国。そして日本人には西洋で学んだ心理学がそのまま適用できないことに気がつき、日本的環境や日本人の心性にあった方法を模索してゆく。彼はまた日本の昔話や神話を研究し、それらを土台として日本人の精神構造を分析してゆく。その過程で「片子」という昔話に少なからぬ興味を持ったらしい。『昔話と日本人の心』という、昔話から日本人の心理構造を分析した著作では、片子について簡単に触れたあと、後に論じるとしながら、それを書き忘れた。そして後日、『片側人間の悲劇――昔話にみる現代人の課題』という論考を残した。その中で彼は、片子について書き忘れたのは欧米で学んだことを日本で活かそうとするときに、度々「居づらく」なってしまう自分自身を重ねあわてしまい、無意識に書かなかったのだろうということを書いている。そして論考に、


「――現代に生きる日本人としては、片子を自殺に追いやらず、さりとて西洋流の変身を期待して殺害することもなく(中略)、片子を生かし続けることにより、そこにどのような新しいファンタジーが創造されてくるかを見とどけることと、その新しいファンタジーを生きることに努力を傾けることが課題となるであろう」


 という言葉を書き残している。 
 私は、この「片子を生かし続ける」「新しいファンタジー」という表現が気になっていた。

 それは、主体の中に西洋並みの父性を維持せよ、ということだろう。これに単純な解釈を試みるならば、「異物を積極的に受け入れ続ける社会」と言い換えることもできるだろう。ある意味では欧米のような社会を目指そうというスローガンにも聞こえる。単純にそう捉えるならば、現代に生きる私としては、単純に異物を受け入れようというスローガンだけでは世の中は変わらなかった、という気がする。むしろその無垢なスローガンが傷つけてきた半身が世界中でうめき声をあげ始めているようにすら思える。しかし、西洋流の主体成熟への道も否定しているとなると、話はややこしくなる。この課題への解答は、どうも単純な表現では答えられない気がした。

 日本人の精神をあくまで臨床の立場から考察した結果見つけ出された「片子」という昔話。これを語りなおすことで、この課題への一つの解答を提出してみたい。

2017
 

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now