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第三回「片子の家族の物語をつくる」

November 16, 2017

4月15日

参加者:20代男性

時間:約30分

今回は試験的に自宅ではなく展覧会会場にて開催。参加者は1人のみ。非常に積極的な人物で、1人でぐいぐいと物語を作ってくれる。聞き役に徹して、色々と問いかける。

***

 今回は前回と前々回のワークショップの様子をまとめて作品化したものを展示した展覧会会場にて開催。ワークショップのコンセプトとして閉鎖的な空間でやるほうがいいと考えていたが、開かれた空間でも試しにやってみることに。また、参加者も私含めて2人だけ。イレギュラーな回である。参加者は展覧会を見に来ていた知人。前回と前々回はビデオカメラで録画したが、これ以降は録音のみとすることに。カメラで撮ることは、カメラが与える影響の割りにそこまで重要ではないと感じたためである。

 

 まずは物語の紹介をする。そして今回は「片子の家族」を中心に話をしたいと提案。これは前回までのワークショップをうけて、片子の自殺を直接に扱うよりも、その要因について具体的なモチーフを与えて話し合うほうが豊かな対話と物語がうまれると考えたためである。片子が自殺しない方向という方針は変えない。

 たちまち、一つのアイデアが出される。「鬼が村にやってくる」というものである。これについて展開してゆく。鬼と片子で人間の村に帰ってくる。鬼が一生懸命に働き、女房は村人を説得する。時間はかかるが、次第に村に受け入れられる。すると、片子も過ごしやすくなり、村人の鬼への不信感も消えてうまく収まる、という物語。

 ここで、夫が問題になる。鬼と片子と女房が村で家庭を築き、鬼が村に受け入れられたなら、夫の立場はどうなるのか?夫は疎外感を感じて自殺してしまうのではないだろうか。夫の立場は確かに苦しいが、それならば夫は違う女性を見つけて別の家庭を築けばいい、などと話し合う。

 こう話していくうちに、村の中で2つのコミュニティのかたちが生まれる。1つは鬼と女房と片子を中心とした、異物を受け入れた村人たちのコミュニティ。そしてもう1つは、夫と新しい女房とその子どもの家庭。そして鬼を嫌った人間たちを中心としたコミュニティ。同じ村の中でも、こうして2つのグループに分裂するのではないか、という話が生まれる。

 夫の疎外という主題はなかなか面白いと思ったので、これについて少し他の話などを持ち出して話す。鬼を西洋的な父性ととらえ、この物語をそれを受け入れる際の精神的な反応として捉えるならば、鬼と片子と女房が結びつくことによって夫が疎外されてしまうというのは象徴的と思う。

 こういう話をしていると、片子を「欧米化している日本人」として捉える話になる。そう考えると、片子はユニークすぎて、欧米化している日本人として捉えるのは難しいという話になる。現在はすでに誰もが半分欧米化しているわけで、その意味では誰もが片子であり、ユニークな存在ではない、という。こう考えてゆくと、今の社会には片子のような状況は起きないのだろうか?などと考えられて、面白いと思う。個人的には長い過渡期にあるのだろうと思う。

 そして、片子のユニークさについて少し話しあって、ワークショップを終了する。ただの奇行や個性的というユニークネス自体には価値はなく、集団の中での特別な行為に価値があるのではないか。それは正と負の両面があり、生の英雄譚と、負の教訓話。こうしたものに派生するのでは、などと話しあう。片子が自殺しなければ、それはただの半身赤痣の少年でしかないのだろうか。

 途中、展覧会を見に来ていた現代美術作家が自分のハナミズをかんだティッシュを箱庭に投げてくる。これは何かと聞くと、「片子より異様な異物」であるという。夫が片子よりも異様なものを作りあげることで、皆が異様さに驚く。そうすると、片子は異様に見えなくなり、もっと寛容な村になった、という物語を残して去っていく。物語作りにもその人の考え方が反映されて面白いと思う。

 以下、つくられた物語

 

  • 鬼と女房と片子で人間の村へ帰る。鬼は黙々と仕事をし、女房は村人を説得する。そうしているうちに鬼は村に受け入れられて、3人は幸せに暮らした。

  • そのおかげで居場所を失った夫は自殺する。

  • 居場所を失った夫は、村のはずれで別の女性と家庭を築く。そうして村人たちは、鬼を受け入れたコミュニティと、鬼を受け入れなかった人間だけのコミュニティに分裂する。

  • 夫が片子よりも異様な物体を作り上げる。皆、異様さに驚く。そうしたら片子の異様さが、異様じゃなく見えた。それによって、もっと変なものを受け入れられるようになっていく。

  • 鬼と女房が子どもをたくさん作れば、変じゃなくなる。

 

***

 

 開かれた空間でやった感想としては、そこまで劇的な差はないなぁということであった。それよりも、時間の区切りだとか、参加者の参加への積極的な意思の有無などが重要であるようだ。個人的な苦悩がこの物語作りに投影される場合は閉鎖的な空間であったほうが深い問いかけが生まれそうだが、そうでない場合は開かれた空間であっても、あまり刺激の多すぎる環境でない場合は大きな問題はないように感じた。どちらにも一長一短があり、参加者によって適した場があるように思う。

 参加者が2人ということで、1つの物語を掘り下げる方向に向かった。物語作りとしてはスムーズに進行し、完結した物語とその派生系というまとまった結果が生まれたが、対話としては視点が少なくなってしまった。物語作りなどの創作行為はやはり1人か少人数で深く掘り下げるものなのだなぁ、などと思う。ワークショップの目的はやはり、対話して様々な視点を交差させることそのものであると再確認しつつ、それを物語という形式で蓄積可能なのだろうか、と思う。

 

 

 

 

 

 

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