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第二回「片子を救う物語をつくる」(「片子を活かす物語をつくる」)

November 15, 2017

4月6

参加者:男性3名と私の計4名。年齢は20代2名と30代1名。

時間:約3時間

前回同様自宅にて開催。同じような環境を整える。天気は晴れであった。

第一回では最初の進行でかなり手間取ったので、作品説明部分について少し台本的なものを用意する。作品化する為に映像を撮っていたので、スムーズに話を進める為。また、読んでも読まなくてもよいというかたちで、事前に片子の物語をメールで送っておいた。様々な物語と議論が生まれ、結果としては前後半に渡る3時間を超えた長丁場となった。

 

***

 

<前半>

 夕方に集合。まずは台本を参考にしつつ作品の概要を説明。物語は皆メールしたものを読んでくれていたということで、ほぼ省略。今回は「片子を救う物語」を作りたい、という提案をした。箱内に片子人形を入れて話し合う。事前にメールしたためか、物語作りには進まず、片子という昔話そのものの解釈をめぐる議論が生まれる。お互いの距離を探るような雰囲気の中、日本の昔話には「主人公」がいないというような話など。私も西洋と日本の昔話の比較の話などをする。

 

 

 

 

 物語作りに話が展開しないため、前回をふまえて登場人物を箱内に投入し、村の風景をつくってみる。しかし以降も箱庭内に動きはなく、物語作りははずまず。救い出すことの定義について話し合う中で、そもそも自殺は救いではないか?という方向の議論へ。彼の死によって村は守られたという教訓的な昔話であり、それは節分に接続している。これはそもそも救いのある昔話だ、という意見が強固になる。あくまで物語の次元での対話が目的であり、メタ的な視点は少し置いておきたいという話をするが、これを話さなければ目的が不明であるという話になり、議論は継続される。

 自殺をめぐる解釈を議論する。さきほど提出された「この自殺は片子が辛くて自殺したのではなく、コミュニティを守る為の自己犠牲の自殺である」という解釈について話し合う。「両親=村を守る為の自殺であり、民族の血を守る為に外からの血を排除しなければならず、その為に片子は半分に引き裂かれなければならなかった」という話や、「片子が死なずに村で仲よく暮らした場合というのは教訓話の脚本としてどうなのか?」「片子の半身の弔いがないことが問題ではないか?」などの視点について話し合う。

 片子が自殺しない方向と、あくまでワークショップの目的である物語の次元での対話にこだわる私と参加者との間で、硬直した空気が流れはじめる。

 以降も片子の自殺の解釈や昔話そのものをめぐって議論がなされる。それを物語に落とし込むにはどうすればよいかと問う中で、二つ物語がつくられた。

 

  • ひとつは、フリークス(変人)の話。片子が村に馴染めないはぐれ者の男と出会うことによって、村になじまなくてもよい生き方を学ぶことができるのではないか?という話。

  • もうひとつはなかなか凝ったもので、鬼が村へやってきた際、家の前に串刺しになった半身を取り戻すという話。村には人間の半身だけが残り、それを両親は手厚く弔った。

 これらが提出された後、民間伝承とは何かという議論にもどったので、物語作りにもどそうとする。硬直した雰囲気になってしまった、という状況が参加者間に共有されたので、ここでいったん休憩時間とする。お菓子などを食べる。箱庭療法において、健常者を対象に行っても、彼らは意識的に防衛できるため、ほとんど意味のない箱庭が作られて終わる場合があるという話などを思い出し、興味深く思う。

 

***

 

 <後半>

 後半は前半をふまえ、物語作りを行うまえに、十分にワークショップの目的について共通認識をつくることが重要だと考え、このワークショップのアイデアになった河合隼雄の「片子を生かすファンタジー」についての文章を紹介(on goingページの下の方に少し書いてあります)。「救う」というテーマでは結論が固定されてしまったため、「片子を活かす物語をつくる」というテーマに変更する。

(※後で気が付いたのだけれど、原文では「片子を生かす」となっていたところを、間違って記憶しており「片子を活かす」と紹介してしまう!)

 コンセプトなどを一生懸命説明したところ、協力的な雰囲気が生まれ、場が動いた感じがした。鬼が村にやってくるという問題は解決されたことにして、村に片子という<異物>がいる、という状況や、そのことによって起こる問題に焦点を当てて話を進めてみよう、となる。

 場面と目的を具体化することによって、物語のアイデアが次々に提案された。

 以下、つくられた物語と提出されたアイデア。

 

  • 片子が鬼的な強大なパワーで村を支配する。

  • 片子が神の使いとして祀られる。

  • 片子が鬼ヶ島を支配する。

  • 片子は実は月からの使者で、月に帰る。

  • 義理父が興行師となり、片子は見世物小屋で働く(片子が女の子であれば売春宿)。

  • 村長の一人娘の体半分には青痣があり、屋敷の奥に隠されていた。片子が現れたことで娘は外に出るきっかけを得る。片子の存在によって隠されたマイノリティが外に出られるようになり、居場所を見つけられたという話。

  • 津波がきて全員が死ぬ。

  • 片子が何か記録されるだけのことをやる。努力して何らかの分野で成果を残す。

  • 武術を仕込む。習い事をさせるなど、1つのことに打ち込むことで、生きる目的を持つ。

  • 仏門に入る。

  • 片子は旅に出て、別の片子と出会う。そこで子どもが二人生まれるが、片方は完全な人間。片方は完全な鬼であった。一緒に暮らしていけないけれど、どうしていくか、という物語。

 

 ひととおり出たところで、「片子を活かす」ということはマイノリティであることの裏表であるという話へ。つまりマジョリティであればそれは活きない。片子が伝承として残っているいという意味で、活きるということならば最初から活きている。と、最初と同じ結論へ至る。今回提出されたアイデアの中では「片子は最初から救われている」という視点と、「片子の半身をいかに弔うか」の二点が重要な視点であるという結論にまとまる。

 まとめとして、今回のワークショップの感想など話す。片子をなぜ選んだのかという話から、異文化受容の話や、私のこの作品での一つの大きな関心であった「超個人的な歴史や社会的な事象が、なぜ個人の内面を引き裂くのか?」という疑問についての議論になる。例えばなぜ、直接関係のない人間がテロリストという当事者になるのか(ISに参加する若者や)、なぜ自分が生まれる前に置きた事件等が引き起こす困難さを個人が引き受けるのか、などについて話す。ここに対話によって言葉を与えることで、これらは解決されるのでは?という話をする。これらの原因として、違和感や居心地の悪さがあるという話へ。

 居心地の悪さについて話すなかで、「現代とはいつもそういう状況。昔であろうと、今を生きる人は皆もやもやっと違和感を抱えたまま生きていたのだと思う」という意見や、「学問とはそういうもの。時代の当事者であるという意識を引き受けるところから思考が出発する」などの意見がでる。こうして異物感や当事者というテーマをめぐって様々に議論がなされたが、片子の物語に引き付けると、やはり片子を単純に生かす物語では、特殊性を奪うことになり、それは結果的に片子の可能性を活かさないことになる、という意見が出たところで、ひとまず終了とする。

 

 

 

 

 

 最終的に3時間を超える長丁場となった。この記録も長編となってしまった。前回のワークショップをふまえて、私が無理に議論や対話を誘導しようとしてしまったことが完全に裏目に出た回になってしまったと感じ、ワークショップ運営の難しさを痛感するとともに非常に反省点の多い回となった。

 おそらく、無理に物語作りに落とし込もうとせずに、じっくりと目的や定義を議論しながら、1つか2つの骨太なストーリーを作るという方向や、既存の片子を解釈しながら現代的にブラッシュアップするという方向へ展開させることができれば、非常にユニークな回になったのでは、と悔やまれる。どのような方向に進む場合でも、許容する姿勢が重要と思う。

 今回は明確に「片子はすでに救われている」という意見がほとんど結論として出た。片子であることの可能性と、片子を生かすことが可能性を殺すことになることについては、また考えていこうと思う。

 最後の議論にて、私はこのような対話を重ねて言葉を与えるだけで、超個人的な背景的事象によって個人が引き裂かれるような苦しみは解決されるのではないか、というアイデアについて話したりした。あくまで片子の死と可能性の死についての関係を否定する私に対して、参加者から「こうした答えのない宙ぶらりんの対話が目的なのであれば、それはそれで一貫している」という指摘があったことが印象的であった。

 全くの偶然だが、前回の参加者は女性のみで、物語の次元での対話がスムーズに行われた回となり、今回の参加者は男性のみで、目的をもった議論を行い、回答を導き出そうとする力が強く働くという好対照な結果となった。これを女性、男性の特性などと言うつもりは全くないが、ひとつの結果として面白い対比が生まれた。

 ワークショップにおける自分の役割を点検する重要な回となった。ともかく、長時間付き合ってくれた友人達に感謝である。前回と今回、2回の記録をまとめて一つの映像作品を制作した。

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